駆け出しの女優、長谷川泰子は、不世出の天才詩人、中原中也に出逢ってしまった。中也に出逢うということは、後に日本を代表することになる文芸評論家、小林秀雄に出逢ってしまうことだった。
監督、根岸吉太郎は、脚本家、田中陽造の台本に出逢ってしまった。大正時代、才能あふれる3人の若者たちの恋愛と青春、あるいはそのいずれでもない崇高ななにか。正三角形ではなく二等辺三角形。ありきたりのトライアングルではない、唯一無二の人間関係がそこには記されていた。『ツィゴイネルワイゼン』『セーラー服と機関銃』など日本映画史に残る脚本家のその作は、多くの監督たちが熱望しながら長い間実現することができなかった秘宝。その扉を、『遠雷』『ウホッホ探検隊』『雪に願うこと』の名匠がついに開けた。根岸と田中が組んだ『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』以来、実に16年ぶり。根岸にとっても16年ぶりの新作となった。
広瀬すずは、根岸吉太郎と田中陽造に出逢ってしまった。現代日本映画に輝く天才女優が、1970年代から疾走してきた日本映画のトップランナーたちと邂逅。そうして生まれたのは、生粋のアーティストふたりに愛されながらも、自身の夢と格闘しつづけた、真っさらで潔い女性の肖像。女性男性の枠を超え互いをリスペクトしているからこそ生まれもする軋轢と混乱。そのありようを体現する広瀬の、かつて誰も見たことのなかった生命のとめどなさを前に、誰もがこうつぶやくだろう。
田中陽造、幻の脚本が幻のままだったのは、永らく田中が描く中原中也に相応しい俳優が登場しなかったことが理由の一つと言われている。そこに、木戸大聖が現れた。Netflix「First Love 初恋」で佐藤健の若き日の姿を演じ鮮烈な印象を残すなど、今、旬の注目株。初々しく瑞々しい木戸の求心力は、映画·ドラマで描かれてきた畢生の天才詩人のイメージを大胆に塗り替えた。そして、泰子と中也の関係性をある意味、唯一無二のものにしたとも言えるキーパーソン、小林秀雄に名優、岡田将生が扮する。ある時は冷静に、ある時は情熱のままに、中也に惹かれ、泰子にも惹かれる小林の姿は、21世紀を生きるわたしたちにも訴求する現代性が豊かに波打っており、片時も目が離せなくなる。そう、長谷川泰子が中原中也と小林秀雄と出逢ってしまったように、『ゆきてかへらぬ』という幻は、広瀬すず、木戸大聖、岡田将生と遭遇、ついにわたしたちの前に、かつて転生することになった。
『ゆきてかえらぬ』は、その名があらわすとおり、後戻りすることのない3人の生き方を追いかける。傷だらけになりながらも、進んでいく。いや、傷だらけだからこそ、生きている。こんな人々がかつていた、ではなく。わたしたちもまた、こんなふうに愛し愛され傷つき生き進んでいる。
ラストシーンのあと、久しぶりにそんな感慨をもたらす映画が、2025年2月に公開される。