主演:広瀬すず×監督:根岸吉太郎×脚本:田中陽造
2025年2月全国ロードショー
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イントロダクション

出逢ってしまった。

駆け出しの女優、長谷川泰子は、不世出の天才詩人、中原中也に出逢ってしまった。中也に出逢うということは、後に日本を代表することになる文芸評論家、小林秀雄に出逢ってしまうことだった。

出逢ってしまった。

監督、根岸吉太郎は、脚本家、田中陽造の台本に出逢ってしまった。大正時代、才能あふれる3人の若者たちの恋愛と青春、あるいはそのいずれでもない崇高ななにか。正三角形ではなく二等辺三角形。ありきたりのトライアングルではない、唯一無二の人間関係がそこには記されていた。『ツィゴイネルワイゼン』『セーラー服と機関銃』など日本映画史に残る脚本家のその作は、多くの監督たちが熱望しながら長い間実現することができなかった秘宝。その扉を、『遠雷』『ウホッホ探検隊』『雪に願うこと』の名匠がついに開けた。根岸と田中が組んだ『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』以来、実に16年ぶり。根岸にとっても16年ぶりの新作となった。

出逢ってしまった。

広瀬すずは、根岸吉太郎と田中陽造に出逢ってしまった。現代日本映画に輝く天才女優が、1970年代から疾走してきた日本映画のトップランナーたちと邂逅。そうして生まれたのは、生粋のアーティストふたりに愛されながらも、自身の夢と格闘しつづけた、真っさらで潔い女性の肖像。女性男性の枠を超え互いをリスペクトしているからこそ生まれもする軋轢と混乱。そのありようを体現する広瀬の、かつて誰も見たことのなかった生命のとめどなさを前に、誰もがこうつぶやくだろう。

出逢ってしまった。

『ゆきてかへらぬ』は、その名があらわすとおり、後戻りすることのない3人の生き方を追いかける。傷だらけになりながらも、進んでいく。いや、傷だらけだからこそ、生きている。こんな人々がかつていた、ではなく。わたしたちもまた、こんなふうに愛し愛され傷つき生き進んでいる。

出逢ってしまった。

ラストシーンのあと、久しぶりにそんな感慨をもたらす映画が、2025年2月に公開される。

ストーリー

京都。

まだ芽の出ない女優、長谷川泰子は、まだ学生だった中原中也と出逢った。
20歳の泰子と17歳の中也。どこか虚勢を張るふたりは、互いに惹かれ、一緒に暮らしはじめる。価値観は違う。けれども、相手を尊重できる気っ風のよさが共通していた。

東京。

泰子と中也が引っ越した家を、小林秀雄がふいに訪れる。中也の詩人としての才能を誰よりも知る男。そして、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていた。男たちの仲睦まじい様子を目の当たりにして、泰子は複雑な気持ちになる。
才気あふれるクリエイターたちにどこか置いてけぼりにされたようなさみしさ。

しかし、泰子と出逢ってしまった小林もまた彼女の魅力に気づく。本物を求める批評家は新進女優にも本物を見出した。
そうして、複雑でシンプルな関係がはじまる。重ならないベクトル、刹那のすれ違い。ひとりの女が、ふたりの男に愛されること。それはアーティストたちの青春でもあった。

コメント

主演 広瀬すず 長谷川泰子はせがわやすこ

今回演じた長谷川泰子は、大正というモダンな時代を自由にというか、必死というのか、無謀に駆け抜けた女性でした。
本当に体力のいる役でした。
根岸監督はこの作品が16年ぶりの長編映画と聞いておりましたが、それを感じさせない程、現場では監督の体力が一番すごかったですね。根岸監督の映画づくりというものを、この目で見て、体感して、とても贅沢でした。
是非、ご期待ください。

監督 根岸吉太郎

大学で学生に映画を教えたり共に学んだりしているうちに、時があっという間に過ぎ去り16年ぶりの長編映画となりました。『ゆきてかへらぬ』は多くの監督や演出家が映画化したいと望んでいた知る人ぞ知る田中陽造さんの珠玉のシナリオです。これを託され5年の準備期間を経て素晴らしいキャストに恵まれ完成しました。
今回のすずさんは奥深いところで役を捉え、まるで泰子という主人公に憑依したかのようです。誰も見たことのない泰子の「広瀬すず」がここにいます。
大正から昭和へ移る時代を舞台に、ひとりの女とふたりの男の、奇妙な三角関係と真摯で壮絶な青春を描いた作品です。ぜひ、今の時代に青春を送る若者たちに観ていただきたいです。

脚本 田中陽造

女優と詩人と批評家の、二度と戻れない青春時代を描いた映画です。
40年以上も前に書いた脚本ですが、今の時代に共鳴してくれればと願います。